少し古い旅の記憶を呼び起こしながら、、
玄界灘に面した博多湾を右側から腕を伸ばして蓋をするように伸びる砂州が海の中道と言われる。この海の中道の根本のところに新宮という町がある。その新宮の港から相島(あいのしま)へ渡る船が出ている。相島へは、船で15分ほどでたどり着く。
海の中道の先に陸路でつながっている志賀島は、金印が発見されたことでも知られている。安曇族の出自とともに語られることの多い志賀海(しかうみ)神社があることでも知られている。
ご祭神は、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が、禊祓(みそぎはら)いをしたときに生まれた底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)、中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)、上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)の三神。いわゆる綿津見三神(わたつみさんじん)と言われる海神系の神々を祀る古社。
神功皇后に干珠・満珠(かんじゅ・まんじゅ)の球を授けたと言われる阿曇磯良(あづみのいそら)も祭られている。
さて、今回訪ねる相島は2013年に米CNNが世界5大猫スポットに選んだとかで猫好きには知られる場所なのである。
動物好き、とりわけ猫好きの娘に相島のことを伝えるとすぐに飛びついてきた。
私が行きたい本当の理由は、相島の海岸沿いに沢山ある積石塚を見ることであった。
以前から相島の積石塚の様子は、写真などで見る機会はあった。それは灰色の荒涼とした海岸の遺跡群であった。あまり見慣れない景色で、土の色が見えないどこか日本ではないような光景であった。いつか行ってみたいと思っていた。
相島へ渡るフェリーは思っていた以上に乗客が多かった。宿泊施設は少ないためほとんどの人は日帰りであろう。
今日宿泊する丸巳屋旅館に荷物を下ろし、いよいよ島探索を始める。

猫でもひやかしながら積石塚でも見に行こう。
と思ったが、港の近くの飲食店でワカメを頂きながらの昼間のビールはいい感じなのである、、

幸福度がより高まったところで、探索を行うか、、
娘は、ねことじゃれあっている
島の周回道路を、港から東に向かって進んでいく。

右手に海が見える。真珠の養殖もおこなっているようだ。

しばらく歩くと、国指定史跡「相島積石塚群」にたどり着いた。
「相島積石塚群」は、4世紀から6世紀にかけて築造された約254基の古墳からなる遺跡である。

盛り土が見えないことから外形的にはとても異質な感じがある。玄武岩で積み上げられた様子は、見慣れた古墳とは違った印象を受ける。海岸を覆うように積石塚が広がっている景色はここでしか見れない。
海の中には玄武岩がアーチ状に残った鼻栗瀬(はなぐりせ)が見えている。
通称メガネ岩とも呼ばれるこの鼻栗瀬は、同じく福岡県の博多湾の左手(西側)の糸島市にある玄武岩のアーチである芥屋の大門(けやのおおと)を少しだけおもいださせた。
ちなみにこの鼻栗瀬が、4世紀ごろどんな姿であったかを複数のAIでシミュレートしてみると、海面は今より1メートルほど低く穴の大きさは小さいとの結果であった。現在と大きく印象が違っているわけではなさそうだ。
娘も遺跡や岩にはさほどの興味はないが、SNSにあげる写真を撮っている。

古墳群も無人ではなかったが、人はまばらだ。
4~6世紀の古墳群がこのビーチの一辺に200基以上も密集している様子は圧巻である。この場所は、実際に見るとかなりのインパクトを感じるが、おそらくそれに見合った知名度はないのであろう。
世界遺産に認定されている近くの?宗像大社の沖ノ島も4世紀ころからの遺物が残っているようなので時期的には相島の遺跡もかぶっている。相互の影響などがわかれば面白いかもしれない。
旅とは直接関係ないが、少しだけ考察した記録を残しておく。
宗像大社の3女神を祀る3つの宮、沖津宮、中津宮、辺津宮と相島の位置関係を整理すると以下のようになる。

相島・宗像三宮位置図
沖津宮(沖ノ島)から辺津宮(本土)への方位は 140.57°、中津宮(大島)への方位は **142.03°**で、差はわずか 1.46°。三宮は玄界灘の上にほぼ完璧な直線を描いている。
相島から宗像三宮を見ると、沖津宮が 北北西335.7°、中津宮が 北北東21.2°、辺津宮が 東北東60.5° の方角に見える。相島から沖津宮と辺津宮のなす角は 84.8°(ほぼ直角)。
志賀島から相島へ延びる線は4度の差で中津宮がある大島を貫く。
ここでは宗像の沖ノ島、中津宮(大島)、辺津宮を結ぶ線を宗像軸と呼び、志賀島と相島を結ぶ線を安曇軸と呼んでおこう。相島は安曇軸が宗像軸に突き付けた矛先であるのかもしれない。

相島の若宮には玉依姫命や豊玉姫命が祀られ、高妻神社には彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が祀られている。安曇系の海神の系譜か、、
さらに最近参道に夕日が光の道をつくることで話題にもなった宮地嶽神社も考慮すると、、

宮地嶽神社は息長足比売命(おきながたらしひめのみこと=神功皇后)と安曇族の長である勝村大神(かつむらのおおかみ)と勝頼大神(かつよりのおおかみ)をまつる神社である。
神社にある巨大な古墳は宗像系の王が埋葬されていたのではないかともいわれている。もしかすると宗像系の拠点を安曇系が占領した痕跡かもしれない。
現時点でのご祭神を見ると安曇系と考えてよいのではないか。付け加えると神功皇后を考慮して住吉系も合わさっているとみることもできるかもしれない。本殿からこの参道の先は海が広がりその先は相島に向かって伸びている。夕日の沈むその島は、もしかすると黄泉の国に比定される場所であったのかもしれない。実際島には相島積石塚群が広がっている。そしてアーチ形の鼻栗瀬は、異界への出入り口であったかもしれない。
宗像の3女神を祭る宮はほぼ一直線上に、海上を平面にルートをつくっている。
安曇系の3神はその名前が示すように上、中、底と現界から海中さらに地の世界へと上下の異相を表現しているのかもしれない、、 潜水艦発射型のミサイルのように、底から中、そして表へと宗像軸を威嚇しているのかもしれない。
こうやって位置関係を改めて見てみると、宗像系にとって、中津宮がある大島は戦略的に重要な場所であることがわかる。
それと同じく安曇系にとっては、相島が重要な場所であるように思える。
いつの間にか娘が円墳の石室に入って写真を撮れとばかりにこっちを見ていた、、
石室が露頭して残っているものもいくつかあった。
前方後方墳もあった。

港の方面に戻る途中、剣神社に寄ってみた。
何やら明治期に発見された剣をご神体としてまつっているとのこと。
さらに進み弁財天を祀る祠にも立ち寄った。
入口はなんだかわかりにくいが海側のガードレールの切れ目から入っていくようだ。

小さな祠が海に向かって祀られていた。
港近くに戻ると集落に、恵比須神社があった。
港には恵比須が似合うね、、
町には売店もある。

続いて豊国龍神社、、

そして若宮神社。
海神、大綿津見神(おおわたつみのかみ)の娘二人、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、その妹の玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祭っている。
豊玉姫は、この地の井戸で山幸彦と出会ったとされている。
と言うことはここは竜宮城への入り口か、、
参道の先には防波堤の切れた部分がある。
お汐井(しおい)の小石を置いたコンクリートの台が参道の入り口の左右に設置されている。
地元の方にお伺いすると、この小石はいったん海に降りて洗ったのちに拝殿や祠などに置いていくのだという。
お汐井の置かれた拝殿や祠が境内のあちこちにある。
拝殿には猫が2匹、

豊玉姫と山幸彦がであった井戸も、
ここにもお汐井の小石が置かれている。
天孫降臨したニニギノミコトと大綿津見神(オオワダツミノカミ)の娘である木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)の子である彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)、
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)と海神の娘である豊玉姫、がこの地で結ばれる?
豊玉姫はウガヤフキアエズノミコトを出産する時の姿を見られたことで海に帰っていく。
ウガヤフキアエズノミコトを豊玉姫の代わりに育て、そして結婚したのが妹の玉依姫、
その4男が、神武天皇、、
天神と海神の交差する場所の一つであったのかもしれない。
宮地嶽神社から見て夕日の沈む相島は黄泉の国ではないかと先ほど述べたが、海神(わだつみ)の世界に通じる場所であったのかもしれない。
と、おなかがすいてきたので、『洋風食堂 うみ』で食事をとる。

畳敷きの和室に食卓がいくつかありそこでパスタを頂いた。
机の下にはいつの間にか猫が、、

途中に祠があった。六地蔵か、、
その横に大納言藤原為家の歌碑もあった。古くはこの島は「あいのしま」ではなく「あべしま」と呼ばれていたのか、、
『あべしまの 山のいわかねかたしきて さゆる今宵の 月のさやけさ(続古今和歌集)』

地蔵には今後どこぞの世界でお世話になるかもしれない、と言うか最後の頼みの綱なので、「かかか」と唱えておこう。
もう一つ気になる場所に行っておこう。
龍王石(八大龍王)である。
海辺にポツンと磐座?があった。猫も一匹、、
近くの海岸を見ると石材?が落ちている。
船のいかりなどに古くは使われた岩の痕跡だという方もいるようだがよくわからない。

そろそろ日が暮れそうだ。

宿で少し休んだ後、夜の散策にも出かけてみる。

夜になっても何匹かの猫は相手をしてくれた。

明日島を離れる。
つづく

























