- 近日連載スタート・・南嶋奇譚 ガイドブックに載っていない与那国島
- はじまり(南嶋奇譚・ガイドブックに載っていない与那国島1)
- 久部良岳にやってきた(南嶋奇譚・ガイドブックに載っていない与那国島2)
- 久部良から祖納へ(南嶋奇譚・ガイドブックに載っていない与那国島3)
- 祖納探索(南嶋奇譚・ガイドブックに載っていない与那国島4)
- 島内ぐるぐる(南嶋奇譚・ガイドブックに載っていない与那国島5)
- 旅の終わりに(南嶋奇譚・ガイドブックに載っていない与那国島6)
- 再び与那国へ(南嶋奇譚Ⅱ・ガイドブックに載っていない与那国島1)
- 畳ビーチ4選(南嶋奇譚Ⅱ・ガイドブックに載っていない与那国島2)
- ヘビ岩・顔石・磐座・亀石そしてパパイヤ(南嶋奇譚Ⅱ・ガイドブックに載っていない与那国島3)
- 西のハトからミミシへ(南嶋奇譚Ⅱ・ガイドブックに載っていない与那国島4)
- 女神の拝所・海底遺跡の拝所(南嶋奇譚Ⅱ・ガイドブックに載っていない与那国島5)
- 海神の拝所(南嶋奇譚Ⅱ・ガイドブックに載っていない与那国島6)
- 大切な場所(南嶋奇譚Ⅱ・ガイドブックに載っていない与那国島7)
- ハトと亀(南嶋奇譚Ⅱ・ガイドブックに載っていない与那国島8)
- ハトの脚?(南嶋奇譚Ⅱ・ガイドブックに載っていない与那国島番外編)
- アラガ香炉とハイドゥナン(南嶋奇譚Ⅱ・ガイドブックに載っていない与那国島番外編2)
※この番外編2の記事は旅の内容をつづった文章というより、旅を通じて経験したり知識を得たことを少し考察したものとなっている。島の一番神高い拝所についての情報を含んでいる。
『与那国島の自然と伝統文化』という与那国島の紹介をしているWEBサイトがある。
とても情報が整理されていて見ているといろいろと興味がわいてくる。
文章中に与那国島のことを『本町』と表現したりしているので、おそらくは与那国町かもしくは町に関係のある立場の方が運営しているサイトであろうと思っていたら、、
与那国町のWEBページを見て見るとこの『与那国島の自然と伝統文化』というサイトは教育委員会が担当しているようだ。リンクと担当課が表示されていた。
この『与那国島の自然と伝統文化』のサイトに年間行事を紹介しているページがある。
このページに「アラガタトゥタガビ」という行事の説明がある。
説明によると、
以下引用
旧暦8月の初庚・辛
与那国島最初の大司(ムトカハマイ)の墓・ナンタ浜から宇良部岳・アラガウガン
与那国の御嶽の神々を呼び寄せて一年の始まり、今年の島の無事を祈る。作物の播種時期に当たり、島に慈雨を乞い、田畑の稔りを祈願する。(引用終り)
とある。(2026年1月26日参照、太字・強調筆者)
旧暦の8月以降に行われる種まきの時期の祭りのようだ。
司と呼ばれる女性祭祀者はすでに島にはいなくなったと、以前マチリの話をしている時に島の方から聞いたことがある。
ある若い女性が司になるべく指導?を受けているといったうわさ程度の話も聞いたことがある、、
このアラガタトゥタガビは、現在でも行われている祭祀なのだろうか?
司の代わりを立てて誰かが祭祀を継続しているのだろうか?
ナンタ浜から宇良部岳を拝し、島仲集落跡の南部にあるアラガウガン(新川御嶽)で祭祀を行う?祭りであるようだ。
このアラガタトゥタガビに関して、昭和56年に発行された『まつり37号(まつり同好会)』を見ていると面白い記載があった。
このまつり37号は与那国特集で、『与那国島の祭事 :東浜永成 ; 富里康子著』という与那国島の年間行事を紹介している記事があった。この記事によると与那国島では旧暦の8月が年度初めとなる。そして年度の最初の祭りがこのアラガタトゥタガビとなる。きっと年度初めの大切な祈願なのであろう。
以下アラガタトゥタガビに関する記載を引用すると、
以下引用
アラガダトゥタガビ(庚辛)の日(旧八月の最初の上記の日)
作物の播種時節になり、作付けの祈願をする祭事で年度初の祭事になる。
この祭事の道順は、与那国島で最初の大司であるムトゥ司ハーマイ(司としての位と云われている)の墓(祖納落内の裏北方にある)に祈願し、次にウニウブスの墓に参り、ナンタ港からウラブ岳に向って祈願し、次にアラガ(地名)香炉(拝所で島の南方の山奥の海岸にある)まで行き祭事をする。アラガ香炉(一名アラガお岳ともいう)はこの島で一番神高いお獄と伝えられ、島に災害が起らぬように、また悪病等も避けるようにと供え物に必ずヒル(にんにく)を供える。
供え物は米・食塩・お酒・クバン(料理物)を供えるが、料理には家畜類の肉類は禁じられ、精進料理とされている。(引用終り:太字・強調筆者)
この記事では、アラガウガンではなくアラガ香炉が祈願の場所となっている。しかもそこは『この島で一番神高いお獄』であると伝えられている場所だ。
アラガウガン(新川御嶽)とアラガ香炉(アラガお岳)という似た名前の拝所は同じ場所なのか違う場所なのか?あるいは呼び方が変わっただけなのか?
アラガ香炉は『拝所で島の南方の山奥の海岸にある』と書かれている???
アラガウガンは、島仲集落の中では南の方だが、島の南方と呼ぶには少し無理がある。しかも山奥の海岸にあるという記載には当てはまらない。
これはどうしたことか、、
考えているうちにこの記載に合致するのではないかと思われる拝所が思い浮かんだ。
この『南嶋奇譚Ⅱ・ガイドブックに載っていない与那国島』シリーズの5で以前紹介した海底遺跡の拝所である。この時は『次に向かったのは島の南部の崖の上にある拝所。』と紹介した。
女神の拝所・海底遺跡の拝所(南嶋奇譚Ⅱ・ガイドブックに載っていない与那国島5)
アラガ香炉の場所を示す『拝所で島の南方の山奥の海岸にある』の内、『島の南方』と『海岸にある』という部分には間違いなくあてはまる。『山奥の』という表現は少し主観が入るが、ジャングルの中を抜けた先にある拝所であることは間違いない。
そしてこの思い付きが正しければ、私が勝手に海底遺跡の拝所と名付けた場所がある辺りは、『アラガお岳』と言われる場所なのであろう。実際、新川鼻に近い。
この話はややこしい、
このWEBサイトを作った方、教育委員会?は、なぜアラガウガンと記載したのか?
場合分けをしてみると、
教育委員会が作ったサイトのアラガウガンで祈願をすることが事実かどうか?
まつり37号の記事が事実かどうか?
まつり37号の記事は、教育委員会のサイトより具体的な記載が多い、少なくともこの記事が書かれたころにはアラガ香炉(アラガお岳)=新川鼻?で、アラガダトゥタガビが行われていたのではないか、、
アラガウガン(新川御嶽)でも行われているのか?行われていないのか?
アラガウガンで行われているとすればアラガ香炉まで行くことが負担になったため、あるいは失伝してしまったためアラガウガンで祈願を行っている。もしくはアラガ香炉とアラガウガンの両方で祈願がされている。
そもそもアラガウガン(新川御嶽)は、新川鼻にあるアラガ香炉を拝んでいるのではないか?
これは神社の奥宮と里宮の関係に似ているのかもしれない。
元々山の中の磐座などで神が祀られていたあるいは神が下りてくる場所がある。そこに祈願に行くには相応の負担があるため日常的に祈願を行う場所として集落の中もしくは周辺に山の中の神々を祈願するための拝所ができる。山の中の磐座が奥宮で集落の中の遥拝所が里宮にあたる。里宮が栄えていつしか奥宮の存在が忘れられることもある。バブル期にはいつの間にかゴルフ場になっていたというような話も聞いたことがある。
兵庫県芦屋市の芦屋神社が祀る天穂日命の磐座は六甲山の「六甲山アスレチックパークGREENIA」の中にある。この六甲山の磐座と芦屋神社の関係も奥宮と里宮の構造が見て取れる。
アラガ香炉とアラガウガンの関係ももしかするとこのような構造になっているのかもしれない。
『与那国島の自然と伝統文化』のサイトの作成者は、アラガ香炉の存在は知っていても敢えてその存在を表に出していない?、、そんなことはしないであろう、、ということは現状ではアラガウガンが、祭祀の場所であるという認識か?
祭りが現在行われているのかどうかも含めてぜひそのあたりのご事情をご存じの方は教えていただきたい。

芦屋神社略記

芦屋神社
- 天穂日命の古代祭祀説明版
- 天穂日命の磐座
与那国島の13あると言われている御嶽にすべて行ったわけではないが、御嶽にイビや磐座のような依り代となるものが見つけられない場所もあった。
こういった御嶽はもしかするとその地が神聖であるだけではなく、宇良部岳など信仰の山やそのほかの聖地を遥拝するための機能を持った場所であるかもしれない。
与那国島内にあるトゥグル御嶽は、グーグルマップにもその場所が明示されている。
トゥグルという地名は空港のそばの御嶽や遺跡にその名前を見ることができる。
トゥグル(とぐる)岳節という民謡もある。
この民謡の歌詞の中にトゥグル岳の存在が歌われている。
トゥグル岳という名前を知っていてもピンポイントでここがトゥグル岳であると示せる人は少ないのではないか、、
トゥグル岳と言う言葉をWEB検索しても場所は明示されない。
逆説的に言えばもしトゥグル御嶽がトゥグル岳を遥拝しているのなら、トゥグル岳は神高い場所であるのかもしれない。
奥宮の位置はだんだんと忘れられていく。
実際私が教えていただいたトゥグル岳は神高いという表現に当てはまる場所であった。
御嶽の向こうに今では忘れられかけている神の依る場所があるのかもしれない。

島で一番神高いアラガ香炉(アラガお岳)か?
海底遺跡の拝所の香炉の向こうには海が見える。
新川の崖のふち近くである。
写真には枯れたクバの葉が香炉の前にいくつか見える。
これは祭祀を行ったものが、座る場所に敷いたもの、
この葉の枯れ具合で祭祀の行われた時期がもしかするとわかるのかもしれない、、
さすがに難しいか?
Aさんはこの場所が海底遺跡を拝する場所であるといった。
私は南向きの海の向こうに島の人々が見たのは、あるいは楽園はいどぅなん(南与那国島)なのかもしれないとも思った。
まつり37号(まつり同好会)の中に、もう一つ『与那国島比川の他界伝承をめぐって :伊藤良吉』という興味深い記事があった。この記事によると、はいどぅなん(南与那国島)の他にも、アンドゥ島、ユガフノチマ、タイコクノチマ、アヤジマ、コウショウトウといったおそらく現実には今存在しない他界の島の伝承がこの地にあったようだ。
アラガ香炉の前面に広がる海の先には海底遺跡さえも含む楽土の記憶があるのかもしれない、、


